シンガポールでばりばりどーん。

シンガポールでの文化体験、健康的暮らし、子育て、教育、英語学習などについて綴ります。

シンガポールTotal Defence Dayに思うこと

昨日2月15日はシンガポールの

Total Defence Day(国防の日みたいな感じかな。)

ということでローカル小学校では、

世界第二次大戦時のことを赤裸々に

振り返ったりするようです。

 

息子をローカルに通わせることが決まってから

この日が1番気になってて、

家でもきちんと話さなきゃと思ってました。

 

でも…

日本ではあまり語られていないからか、
私がちゃんと勉強してこなかったのか
恥ずかしながら、私はつい1~2年前まで
日本がシンガポールを支配していたことすら
知りませんでした。 

 

これではダメだと思い、、、

日本人会の図書室で、

こんな本を借りてみました。

 

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『旅行ガイドにないアジアを歩く シンガポール』/梨の木舎

 

2月15日。

1942年のこの日、

シンガポール(イギリス軍)は

日本軍に陥落しました。

 

その後、敗戦まで3年半続いた日本軍の支配は

あまりに残忍で、冷血で、

シンガポール人にとって

それはそれは屈辱的なものだったのです。

 

それを語るにはわたしの知識が浅すぎるため

内容は割愛しますが

とてもとてもショッキングでした。

凹んだ…

 

ナショナルミュージアムにおいても、

シンガポールの歴史を紹介する展示の中で、

日本が占領した3年半は、

The Dark Years (暗黒時代)と紹介されています。

(これを見た時もすごくショックだったなぁ)

 

学校ではどこまで、どんな風に

伝えられるのかわからないけど、

この事実を息子はどう感じるのかな。

それにどう答えてあげたらいいのかな。

そんなことを思い巡らせてたけど

いつも通り、ニコニコで帰ってきた息子。

ちょっと安心したけど、

でも、2人で少ーしだけ話しました。

息子はとても客観的で、

ただ18:20に鳴るサイレンを

楽しみにしてるようでした。

まだあんまりわかってないんだろうね。

 

日本軍の歴史的な汚点(汚点です)

それは今後も消えることはないし。

日本人であるわたしたちは

それを知っておくべきだと思います。

ここで働いたり、暮らしたり、

また訪れたりする人は、少なくとも。

 

日本にいたら感じないこと、

ずっと考えなかったかもしれないこと。

日本国内で、日本語で、 得られる情報が

すべてじゃないって。

当たり前なんだけど、

そんなことも改めて考えた日でした。

 

血債の塔と呼ばれる、

日本占領時期死難人民記念碑。

英語では: the Civilian War Memori。

シンガポールに来て、

もしも近くを通りかかったら、

せめて遠くからでも手を合わせてほしいなと

いまわたしは思うのでした。